「王の宝石商、宝石商の王」
カルティエといえば、宝飾品からバッグなどの革製品まで多彩な商品バリエーションを持つ世界的なブランドであり、
今では腕時計もそのラインナップのひとつと思われる方も多いと思います。
確かにカルティエの歴史はスイスに本社を持つ多くの伝統的な時計メーカーとはかなり異なり、
フランスを代表するパリのグランド・メゾンの時計でありながら、
スイス・メイドの高級腕時計であるという二重の意味での魅力があるブランドと言えるでしょう。
カルティエは1847年の創業。19世紀半ばから王侯貴族のための宝飾品を製作していました。
過去20年間でも各国15王室から御用達の勅許状を受けており、特に英国王室の愛顧は有名です。
今もなお王室を顧客にかかえ、愛され続けているのもエドワード7世が称した「王の宝石商、宝石商の王」である所以です。
3代目 ルイ・カルティエ
時計も同時に宝飾品のひとつであり、カルティエではその初期から手がけていました。
1888年には初の女性用宝飾腕時計を製作。このモデルにはサファイアカボションを配したリューズなど、
すでに現在に通じる意匠が盛り込まれていました。ただ、宝飾品と同じような世界的名声を得るためには
ひとりの男の登場を待たねばなりません。
今から100年以上前の1899年、カルティエは現在も本社のある、
パリのラ・ペ通り13番地で華やかなオープニングパーティーを開催しました。
ひとりの宝石細工師が設立した会社が約50年を経て、世界で最も華やかな場所に店を開くことが出来たのです。
社長は2代目に当たるアルフレッド・カルティエ。
だが、その前年に23歳になったばかりの自分の息子を共同経営者としていました。
彼こそが、現在のカルティエの時計の礎をつくり上げた伝説の人物、ルイ・カルティエなのです。
世界初の男性用腕時計「サントス」
1900年代に入ってルイは当時最高の時計職人といわれていた
エドモント・ジャガー(後にジャガー・ルクルトを創設)と出会います。
そして1904年、空に魅せられた貴族としてパリの社交界で人気を集めていた飛行家、
アルベルト・サントス・デュモンの「飛行時に懐中時計を取り出して時間を見ることが困難」との依頼から
レザーストラップ付き腕時計を製作しました。当時はまだ時計と言えば懐中時計が主流でした。
ルイがイメージを練り上げ、エドモントがムーブメントを開発したこの時計は
依頼主の名をそのままに「サントス」と名づけられ、世界初の本格男性用腕時計として、
時計=腕に巻くという、新たな時代を築くとともに時計史に偉大な足跡を残しました。
しかも、この時計は丸型ではなく角型であったのです。直接的には腕への装着性を考えてのことでしたが、
普通なら円を描く針の動きをあえて人間による角型のデザインの中に取り込むという、
ルイ・カルティエならではの美意識が貫かれた腕時計でもあったのです。
圧倒的存在のスイス時計界と異なるアプローチ
その後1905年にはエドモントと独占契約を結び、
部品製造から組み立てまでをカルティエで行うという夢をついに実現。
類まれな美的創造力を持つルイ・カルティエと、
高度な時計製作技術を持つエドモント・ジャガーとのコンビネーションによって、
より美しく、より高精度の時計を製造できる態勢が整ったのでした。
次いで、ルイ・カルティエは1914年に勃発した第一次世界大戦で
初めて登場した最強の兵器からモチーフをとった「タンク」を1919年に発表。
戦車の平面図、無限軌道の中に美を見出すというのは、
初めて腕時計を角型にした彼以外には考えつかなかったことでしょう。
また、1930年代にはモロッコ・マラケシュのパシャ、エル・ジャウイ公から、
ルイ・カルティエに「水泳の時にもつけられる腕時計」という注文があり、
このときは防水機能付きの「タンク」が届けられ、これが現代の「パシャ」のルーツとなりました。
こうしてルイ・カルティエは圧倒的存在のスイス時計界と異なるアプローチ、
デザインコンセプトを最優先する、というポリシーで腕時計の傑作を次々とものにして行きました。
ルイ・カルティエは1942年に亡くなりましたが、カルティエの時計のほとんどは彼の遺産といっていいでしょう。
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高度な時計技術と卓越した美術センスの幸福な融合、それがカルティエの時計かも知れません。
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